おもねらないこと。
わたしが、生きる上で最も大切にしていること。
一人ひとりが自分の足で立ち、他者と争わず尊重し合い生きる。
誰かにおもねることのない人が、ひとり、またひとりと増えていけば、世界から尊重される日本になる。
そんな日本を創っていきたい。
踊り始めたのは、中学生のときだった。
クラシックバレエに憧れて、レッスンに通いたいと親を説得した。
静と動の抑揚。柔らかな踊り。難しい踊りをマスターしていくのが、楽しかった。
その一方で、好きになれないところもあった。
白鳥の湖のオデットのように、助けられるのを待っている女性が描かれていること。女性は、男性にサポートされて踊ること。
のちに、白鳥の湖で踊られるスパニッシュダンスを目にし、バレエに感じていた違和感の正体を知った。
スパニッシュダンスは、女性が毅然とした姿で、男性と対峙して踊る。
その隷属しない女性像に憧れた。
わたしがバレエの中で感じていた違和感は「男性に従属的な女性像」だった。
実家は仕出し屋をしていて、一緒に暮らしていた祖父母が、すべてにおいて決定権を持っていた。
そんな家族の中で、わたしの目に映った母は、まるでお手伝いさんのようだった。
「ノー」という選択肢はない。こっそり影で泣く暮らし。
「わたしは、母のように誰かの犠牲者として生きるのは嫌だ」
不満があっても行動できない母を見て、思った。
けれど、わたしにも母と同じようなところがあった。
ホームビデオのワンシーンに、まるで接待するように父に接するわたしが映っていた。
父の機嫌を損ねたくない。
面倒くさいことになるのが嫌で、その場を取り繕うことを優先し、いつの間にか誰に対しても、本当に嫌なことを「イヤ」と言えない自分になっていった。
20歳。フラメンコのアントニオ・ガデス舞踊団の「カルメン」を観覧した。
「かっこいい……!」
フラメンコの世界に一瞬にして魅せられた。
テンポ。静と動の瞬間。緊迫感、弾けるエネルギー。
3階の端の席で、かぶりつくように見入った。
赤と黒の世界。デコレーションがない長いスカートをひるがえして踊る姿。
生きるエネルギーが、そのままそこにあった。
「世の中に、こんなにかっこいい踊りがあったんだ」
気づいたときには、立ち上がって拍手をしていた。
男性が女性をサポートすることが多いクラシックバレエに対して、フラメンコは男性も女性も対等だった。
「踊ってみたい」
すぐにフラメンコ教室を探し、入会した。
27歳、師匠の代稽古をしていた友人が手術をすることになり、いっときクラスを任されることになった。
わたしは、教えることの面白さを知った。
「できなかったことが、できるようになった!」と、生徒が目を輝かせる瞬間を見ること。
発表会の構成を作ること。
バックアーティストとともに、生徒が良いパフォーマンスができる舞台を作り上げること。
そのどれもが、喜びだった。
「先生に習えて、フラメンコが好きになりました」
その言葉をもらたっとき、これからは、ダンサーとしてだけでなく、教える側としてもフラメンコに関わっていこうと決めた。
「出来の悪いわたしの踊りに付き合わせて、申し訳ない」
バックアーティストに対して、わたしはいつも引け目を感じていた。
客の顔もバックアーティストの顔も見られず、舞台の上で独りだと思っていた。
しかし、ある日、思いきって舞台上からみんなの顔を見ると、バックアーティストも客も、満面の笑みでわたしを見ていた。
みんなは、いつだってわたしを全力でサポートしてくれていた。
わたしが自分で勝手に上下関係を作り、扉を閉じていただけだった。
「踊ることをややこしくしていたのは、わたし自身だったんだ…」
2013年より開催している「フラメンコ子どもLIVE」で、その想いをさらに強くする。
子ども達にとっては、スペイン人バックアーティストのネームやキャリアは関係ない。人の目を気にすることもなく、ただシンプルに、自分を表現して踊る姿が、そこにあった。
フラメンコは、一人で踊る。けれど、実は一人きりで踊っているのではない。カンテ(歌)とギターとバイレ(踊り)が三位一体となって、ひとつの世界を創る。
お互いが独立しながらリスペクトし合い、空間を共有して舞台を創っている。そこには子供も大人も、上下関係もない。
「それが、フラメンコなんだ」
子どもたちは、わたしにフラメンコの本質を見せてくれた。
いつも他人の意見に左右され、思考停止していたわたしは、54歳で初めて、人に「嫌だ」と言える体験をする。
ギタリストとギャラについて、意見がぶつかった。
嫌われるかもしれない。怒るかもしれない。
不安とともに「もしかしたら、わかってくれるかも」という期待が入り混じりながら、「嫌だ」と伝えた。
すると、ギタリストに抱いていた疑念が、スッキリと消えた。
フラメンコを通して、自分の足で立つこと、自分の頭で考えることを実践し、少しずつ「嫌だ」と言えるわたしに変わっていった。
「わたしはみんなより全然できないので、出演する資格がないと思う」ある日、ライブ出演が決まった生徒さんが、ひどく落ち込んだ様子で言った。
「フラメンコをやるのに資格は要らない。あなたがやりたいか、やりたくないかだけ。自分らしくないことを頑張るのではなく、自分が大切にしているものに丁寧に取り組めばいい」
そう声をかけると、彼女はボロボロと泣き出した。
「このままでええんや、と思えた」と。
人と人の間に上下関係はない。誰かと比べる必要もない。一人ひとりが自立し尊重し合えば、素晴らしい舞台になる。
それは、人生も同じこと。
誰にもおもねらずに「わたしの人生の主役はわたしだ」と堂々と言えるようになれば、素晴らしい人生になる。
フラメンコはその世界を体感できる。
安井理紗プロフィール
【自己紹介】
フラメンコダンサー歴35年、指導歴25年。
4歳~80歳までの男女にフラメンコを指導。
半数以上の生徒が5年以上継続してレッスンを受講。
高校生の生徒が、全日本フラメンココンクールにて入賞。
2011年、自身が歩けないほど膝を痛め、踊れなくなった経験から、無理せず長く踊り続けるためには、身体に負担をかけない使い方が大事だと気づく。以後、自然体で身体を使えるようになるアレクサンダー・テクニークを学び、指導に取り入れる。
2013年より、フラメンコ子どもLIVEを開催。「自分の頭で考え、踊ること」、「スペイン人バックアーティストとの共演で本物に触れること」などを目的に指導をして、子どもたちが大きく成長する姿に感動する。
「老若男女を問わず、フラメンコを通して、自己表現・成長の場を提供しよう」とあらためて決意。
難しい振り付けを踊れるようになることよりも、自分の身体と心と向き合い、表現する喜びを得ること、心身が成長することを一番大切にして、指導を行っている。
【経歴】
・大阪外国語大学(現大阪大学・外国語学部)の学生時代、来日したアントニオ・ガデス舞踊団の舞台を見て感動し、フラメンコを始める。松下幸恵氏に師事し、大阪教室の代教を勤める。
・1993年、フラメンコの本場セビージャに短期留学し、マノロ・マリン、ラ・トナーらに学ぶ
・フラメンコ界の生き字引カルメン・レデスマ、コンチャ・バルガスをはじめ、スペイン人アーティストに師事しながら、ライブ活動を行う
・2006年、フラメンコ&多目的スタジオ「スタジオ・ヴェルデ」を設立
・フラメンコの指導のほか、スペイン人アーティストによるカンテ(歌)や、バイレ(踊り)のワークショップの実施、共演ライブ等を企画
・2011年、アレクサンダー・テクニーク教師養成コースに所属。自分の身体や思考の癖に自らが気付いてそれを止めていくことで、自然体で負担にならない身体の使い方ができるようなレッスンを始める
・現在は、フラメンコクラスのほかに、「目をラクにするワーク」「疲れない身体の使い方講座」等も開催している